身近に小さな文明論{No1}号  2004/05/02

身近に小さな文明論・・2004.05.02

藤のつぶやき

「何かを手に入れる」と、必ず別の「何かを失う」ものです。これこそ決し
て変わることのない真理なのですが、「何かを手に入れる」ということが「欲
求を満たす」ことになる場合が多いため、人間は迂闊にも「失う代償」のこ
とを忘れてしまうものなのです。しかし、それこそが人間の進歩と言ってい
るものの正体なのでしょう。

つくばの外れに、その家の主が移転してきた時に植えたというから優に四十
年は経つ藤の木が二十メートルはあるフェンスに巻き付いて、ちょうど今の
時期に青紫色の大きな藤の房をたわわに垂らしております。四十年というと
木としては若いのに違いありませんが、フェンスに巻き付いた太い幹の老練
さを見せつけられると、思わず一歩退いてから徐に眺めなければならないほ
どの貫禄を感じるものです。今年は暖冬の影響か見事な花房はいつもより早
めに満開になり、強い優美な香りを放ってマルハナバチのみならず近隣の人
々を引き付けて止みません。

ところが昨年、新たに下水工事がされることになり、道路が1メートルほど
拡幅されることになりました。当然にフェンスに絡まる藤の木は拡幅される
道路の部分となり取り払われなければなりません。というのはさすがに老木、
そう簡単には移植出来ないとわかったからです。昨年は市の財政の関係から
工事延期となりどうやら生き延びた藤の木でしたが、今年は既に工事は目と
鼻の先に迫り、これで最後となる青紫の輝きを発散させています。

下水の整備は人間に素晴らしい文明の恩恵をもたらすでしょう。もしかする
とその家の主も二つ返事で藤を放棄する決心を促されたのかもしれません。
少なくとも市役所の担当者を含める部外者がその見事な藤に憐憫の眼差しを
向けることなどないでしょう。彼らには文明の進歩に逆らう考えなど決して
浮かばないからです。そうやって文明というものは常に高価な代償を請求し
ながら人間の生活に入り込んでくるものなのです。

宅地開発された中に残されたわずか1000平方メートルほどの雑木林。四
月の朝、その中で哀しそうに鳴く雉の声に気付いたでしょうか。かつては一
面の雑木林の中を我が物顔に生活していた雉。宅地開発とともに同居してい
て鶉も野兎もどこかにさっさと消え、今や狭小な空間にひとり取り残されて、
ひっそりとなりを潜める雉。繁殖の時期だけはなりふり忘れて、何倍もの広
さの雑木林であったとしても優に届きそうに声を張り上げ、雌を呼んでいる
のです。一方で人間の方では、その宅地開発の代償が何なのかについて、多
分まだ気付いていないのです。自然の逆襲に会うまでは・・

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