身近に小さな文明論・・2004.10.10 幸福にて考えたこと 「幸福」とはあの「幸福駅」のことです。北海道は十勝南部にあった広尾線 の駅名です。かつて十勝南部の開拓を進めるために昭和4年に広尾線が開通 しましたが、幸福駅はそれから27年経った昭和31年に設置されたそうで す。しかし国鉄再建策の中で広尾線の廃止が決まり、昭和62年に幸福駅も その歴史を閉じました。現在は駅舎とホーム、それに2台の車両が置かれた 交通公園に形を変えて、もっぱら観光客寄せに寄与しております。 誰の家にも「幸福駅」の名を刻んだ筆立てやはがき入れなどのお土産品があ るのかも知れません。それとも「幸福」駅発行の切符でしょうか。幸福にな りたいのは人の常でしょうから、テレビで紹介されると同時に「幸福駅ブー ム」が沸き起こりました。多くの人々が幸福駅を訪れ「幸福グッズ」を購入 して帰ったのです。さらに広尾線には「愛国」という駅もあり、「愛国・幸福 ブーム」を呼びました。あなたも「愛国→幸福」などという切符をお持ちじゃ ないですか。 現在の幸福駅舎に立つと、その外も中もびっしりと貼り付けられた名刺やカ ード、その他色々な張り紙で埋め尽くされていることに驚かされます。おそ らく駅舎を訪れた夫婦、恋人同士などがお互い幸福であることを祈って貼り 付けたものでしょう。あるいは恋に破れた一人旅の若者がひっそりとその後 の幸福を願ったのでしょうか。案外修学旅行の中学生がただ漫然と将来の幸 福を祈ったのかもしれません。いずれにせよそれほど多くの人たちが「幸福」 という名をつけられただけの駅に集い、自分の姿をその駅の名に投影したの です。 確かに人は幸福を願うものです。しかし多彩な人生は幸・不幸を寄せ来る波 のように取り混ぜて用意するものです。しかも幸福であるか否かは相対的な ものでしょう。今幸福だと思っていても一瞬にして消え去ってしまう、ある いは幸福という色は瞬く間に褪せてしまうものなのです。それは幸福という ものの実体が存在しないからなのです。実体のない感覚的な存在は永続性を 持ち得ません。幸福だと感じた瞬間こそその絶頂であり、あとはジェットコ ースターが駆け下りるように終局に向かうのみなのです。 そうしてみると、「幸福駅」を訪れて幸福駅舎の中に入り、幸福を願いながら その壁に名刺を貼り付けている瞬間こそ、人は真に幸福なのかもしれません。 ホームページにもぜひお寄り下さい・・→ 陽はまた昇りて http://kikiwata.hp.infoseek.co.jp タワンティンスーユ http://www5b.biglobe.ne.jp/~cir-KIKI |