身近に小さな文明論{No}号  2005/07/10

身近に小さな文明論・・2005.07.10

再びインドにて・・観光バスは何を語るのでしょうか?

インドで乗った観光バス。例の通りに運転席の脇から中に入るとそこ
から先は、もう一つの別の部屋になっておりました。ちょうどバスの
金属性車体の中に木製の部屋が嵌め込まれているといった感じです。
後にも先にもそんな風なバスに乗ったのは初めてでした。

バスに乗り込んで、部屋の扉を空けるとそこは天国。40度を越える
街中を歩いてきて乗り込んだ、その部屋の冷房の効いていること、効
いていること。遮光カーテンで強い陽射しを遮っ上に、過ぎたるがご
とくに冷やされた部屋の座席に腰を落としたときの安堵感といったら
ありません。なるほど酷暑のインドのことですから、快適な空間をお
客さんに提供しようとの、最大限のサービスなのだろうと納得したも
のでした。

ところがそうでもなかったのです。当然に40度を越える暑さの運転
席。運転手は助手の差し出す水をごく飲みしながら何時間もの道程を
ハンドル握り続けています。冷房の効いた部屋で涼しい顔つきの現地
ガイドに思わず、部屋の扉を開け放しておけば運転手ももう少し快適
に運転できるだろうに、というような口を開いた途端、いえ彼らはあ
れでいいんです。職を得て満足しているんですから・・

そこで思い当たりました。ここはカーストの国でした。カーストは四
階級プラス最下層クラスで構成され、さらに職業ごとに細分化されて
います。それはそれでかつて親の職業がそのまま子に世襲されるなど
のメリットもありました。それが今も生き残って、例えば有料トイレ
で紙を手渡しては料金を受け取る人も清掃を生業としてきた人たちの
職業なのだ、といったことを耳にしました。すると運転席の隣に座っ
て運転手の要求のままに冷えた水を飲ませたり、使い走りの雑用をこ
なす助手も何らかの職業を受け継いできたのかもしれません。

しかしインドのカースト制度は既に憲法で禁止されているはずです。
その一方でそうした身分制度の残骸が未だ息づいていることも思い知
りました。いえ彼らはあれでいいんですと現地ガイドの口にした言葉
には、日本人を見ると1000円、1000円と叫びながらみやげ物
を差し出す人たちの傍らで、一食を5円ほどで暮らす多くの人たちが
カーストのしがらみの中に存在する実情を暗示しているようにも受け
取れました。

今世界でアフリカを救えとのコンサートが開かれています。しかし世
界の人口を養うための地球の資源は有限なのです。まもなく全人口を
養うことなど叶わなくなります。その上、文明が前進すれば人間の欲
望もそれだけ増えてその有限な資源をさらに圧迫します。これでは今
われわれは難しい選択の時代に生きていると思わざるを得ませんね。

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